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名古屋地方裁判所 昭和40年(ヨ)1634号 判決 1967年12月18日

申請人 西沢章 外一名

被申請人 中部日本放送株式会社

主文

一、申請人両名が、被申請人に対し、それぞれ雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二、被申請人は、申請人西沢章に対し、一五一、五二八円および、昭和四十年十月一日から本案判決確定にいたるまで、毎月二十三日限り、一か月六〇、六一一円の割合による金員を、仮に支払え。

三、被申請人は、申請人加藤剛に対し一二七、二三三円および、昭和四十年十月一日から本案判決確定に至るまで、毎月二十三日限り、一か月五〇、八九三円の割合による金員を仮に支払え。

四、訴訟費用は、被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人両名の申立

主文一ないし三項同旨。

第二、申請人両名の申立に対する被申請人の答弁

申請人両名の申請は、いずれもこれを棄却する。

第三、申請人両名の申請理由

一、申請人西沢章(以下西沢という)は、昭和三十六年四月一日、民間放送会社である被申請人との間に、雇用契約を締結し、昭和四十年七月七日当時は、被申請人ラジオ局放送本部アナウンス部に勤務し、被申請人従業員のうち約五百名で組織する、中部日本放送労働組合(以下組合という)の執行委員長の職にあつた者である。

二、申請人加藤剛は(以下加藤という)、昭和三十二年四月十五日、被申請人との間に雇用契約を締結し、昭和四十年七月七日当時は、被申請人テレビ局業務本部営業部に勤務し、組合の上部団体たる日本民間放送労働組合連合会東海地方連合会書記次長の職にあつた者である。

三、被申請人は、昭和四十年七月七日、申請人両名に対しそれぞれ解雇する旨の意思表示をした。

四、しかしながら、右被申請人のなした各解雇の意思表示は、申請人の正当な組合活動を理由とするもので、不当労働行為を構成し無効である。すなわち、

(一)  組合は、昭和四十年四月二十四日午前十時より、春斗諸要求を実現するため、ラジオ進行部の全組合員、アナウンス部の女子組合員に対し、部分ストライキを指令し、さらに四月二十六日午前九時三十分より、全面ストライキに移行し、右部分ストライキ、全面ストライキに関連する残業、および事後措置は、すべて拒否せよとの指令を発した。同日午後一時十五分、全面ストライキが解除された後、被申請人は、ラジオ進行部職員に対し、部分ストライキ中にされるべき筈であつた録音編集作業を四月二十七日にするべく命じた勤務表を作成した。組合は、右作業は、部分ストの事後措置であるとして、被申請人ラジオ進行部次長等と交渉し、この勤務表を撤回せしめ、関係組合員に、右、事後措置作業を拒否せしめた。

(二)  組合は、被申請人が三月九日および十一日内示した四月一日付の一一六名にのぼる配置転換について、被申請人に対し、再三、団交を求めたが、いずれも拒否されたので、四月一日、三十分間の全面ストライキを行うとともに、加藤、遠藤重夫、広田与一の三名の配転組合員に対し、指名ストライキを指令し、同月六日、加藤、遠藤の両名についてこれを解除した(広田については、七月三十日まで指名ストライキが行われた)。ついで、同月十六日、加藤ほか一名に対し、全勤務時間中、社内社外を問わず、赤鉢巻を着用せよとの、いわゆる「重鉢巻斗争指令」を発した。加藤は、これにもとづき、同日以降、赤鉢巻を着用したまま、営業内勤の業務に従事した。

(三)  組合は、昭和四十年五月十二日に行われた民放祭番組中継関連部門の組合員に対し、部分指名ストライキを指令した。そして、五月十三日、右部分指名ストライキを解除したが、さらに全組合員に対し、右ストライキ中の業務の事後処理(中継現場からの器材の撤収、移送等)を拒否せよとの指令を発した。そのため、被申請人自動車課に属する組合員は、中継車、電源車の移送業務を拒否した。

(四)  組合は、昭和四十年四月二十四日から、数回に亘つて、ストライキ後の事後措置拒否指令を発し、これにもとづき、関係組合員がその業務を拒否した。

(五)  組合は、昭和四十年六月十四日、被申請人との団交が終了した席で、五月三十一日付、および六月八日付で被申請人社長名により多数の組合員に配布されていた組合の方針、活動を論難する文書百二十八枚を、被配布者氏名欄を切り取つたうえ返上した。それは組合内部を攪乱しようとする文書であつたからである。

(六)  指名ストライキ中の組合員が、昭和四十年四月一日以後五月二十日までの間、被申請人の食堂で食事をしたことがある。被申請人、組合間の施設協定に「組合が争議行為に入つた場合には、会社は組合が会社の施設を利用することを認めない」と定められているが、指名スト中とはいえ組合員たる従業員が食堂で食事をすることは、組合の会社施設利用に当らず、右協定に反するものではない。

(七)  組合は、昭和四十年三月二十五日から、七月七日までの間、被申請人会社玄関前、あるいは二階出演者控室(ロビー)で、従来の労使慣行で容認され、ないしは施設の効用を失わしめない範囲で、職場集会を開催した。

(八)  組合は、昭和四十年春頃、組合の情宣活動の一つとして名古屋市内において、その頃、被申請人が採用しようとしていた「ラジオラインネツトワーク」と、被申請人の番組を批判するビラを一般市民に配布した。

(九)  以上(一)ないし(八)の組合ないし組合員の行為は、正当な組合活動であるところ、被申請人は、西沢については組合執行委員長として、右各行為を指導し、且実行したこと、加藤については、右行為の一部を実行したことの故をもつて、本件各解雇の意思表示をなした。

よつて右各解雇の意思表示は不当労働行為である。

五、右各解雇に至るまで被申請人から西沢は平均月額六〇、六一一円、加藤は同じく五〇、八九三円の賃金の支給を受けていたが、その後は被申請人は申請人両名の就労の申出を拒否し、昭和四十年七月十六日以降の賃金を支払わない。申請人両名は資産もなく、解雇されるまでは被申請人から支給される賃金のみにより生活を維持していたものであり、西沢については解雇を理由に社員寮明渡を求められている。このままで本案判決の確定をまつていては、申請人両名およびその家族の生活は破壊され、或は従業員としての将来に大きな不利益を受けることになる。また、申請人両名は、組合事務所およびそれに至る最短通路を除く被申請人社屋への立入りを禁止せられていることから、組合活動の上でも重大な支障を受けている。

よつて、本申請に及んだ。

第四、被申請人の主張

(I) 一、申請理由第一項中、被申請人会社が民間放送会社である事実、西沢が昭和三十六年四月一日入社した事実、昭和四十年七月七日当時、ラジオ局、アナウンス部職員であつた事実、および当時組合の執行委員長であつた事実は認める。

二、申請理由第二項中、加藤が昭和三十二年四月十五日入社した事実、昭和四十年七月七日当時、テレビジヨン局業務本部営業部職員であつた事実は認める。

その他の事実は不知である。

三、申請理由第三項の事実は認める。

四、申請理由第四項、(一)中、昭和四十年四月二十四日午前十時から、四月二十六日午後一時十五分まで、ラジオ局放送本部進行部の組合員約十五名、同局同本部アナウンサー部の女子組合員約十五名について部分ストライキがあつた事実、四月二十六日午前九時三十分から午後一時十五分まで、全面ストライキ(本社全職場にわたる組合員約三百五十名が参加)があつた事実、および四月二十七日、ラジオ進行部職員が録音編集作業を拒否した事実は認める。その他の申請人の主張は争う。

同(二)中、昭和四十年四月一日付の配置転換の人事につき三月九日、および三月十一日内示をした事実、四月一日、三十分間の全面ストライキが行われ加藤、遠藤、広田の三名に対し指名ストライキが指令された事実、四月六日、加藤、遠藤について、右指名ストライキが解除された事実、広田について七月三十日まで指名ストライキが継続された事実、および加藤が就業時間中、鉢巻をしていた事実は認める。その他の主張は争う。

同(三)、(四)の事実は認める。

同(五)の事実は認めるが、被申請人配布文書は組合を攪乱するようなものではない。

同(六)ないし(八)のうちの主張の如き行動があつたことはいずれも認めるが、その余は争う。

同(九)中、正当な組合活動であるとの主張は争う。

五、申請理由第五項中、西沢、加藤の平均賃金が、主張の各金額である事実、被申請人が西沢に職員寮の明渡しを求めている事実、申請人両名に対し、組合事務所およびそれに至る最短通路を除く被申請人社屋への立入を禁止している事実は認めるが、その余の主張はすべて争う。

(II) 一、被申請人の業務には、従業員の服務規律等に影響を与える次の特殊性が存する。

被申請人は、電波法により免許を受け、放送法、電波管理委員会設置法によつて規制を受ける放送事業を行つている会社で、これらの法律の規定により、報道言論機関として不偏不党の立場を堅持するよう要請されている。また、商業放送会社として、いわゆるスポンサーに商品たる放送を売却する広告収入を唯一の収入源としている。さらに、商品たる放送の製作は、近代科学の尖端をゆく設備技術を駆使してなされ、企画立案から、放送の終了後の処理に至る全過程を通じて、各種の部分作業の厳正緻密な集約結実を要するものであることから、その業務運営の過程の一部に欠陥ないし欠落が生じたとしても、完全な商品生産が不可能となる特殊性が存する。

したがつて、右の特殊性から、被申請人従業員は、不偏不党の立場を要求され、いやしくも会社の名を以つて特定の政治活動や思想活動を行つてはならず、また、被申請人にとつて主要な顧客である広告主や広告業者等に対しては、営業上相当の礼儀をつくし、被申請人の営業活動に支障を来たさないよう、最大限の配慮を怠つてはならない。さらに、前記の作業の組織性、連結性からして、各担当作業業務の処理に際しては、その僅少な一部の欠陥、欠落が商品生産の全過程に対し重大な支障を及ぼすものであることを自覚し、いやしくも不当、違法な行為のないようとくに留意すべきことが、職務規律上求められる。

二、本件解雇直前における労使交渉の実情と、組合による争議の経過は次のとおりである。

(一) 昭和四十年度における、組合の春斗要求の経過と、これに対する被申請人の交渉態度について述べれば、組合は、昭和四十年二月十六日、被申請人に対し、本給一率八、〇〇〇円の増額等を内容とする「賃金増額要求書」を提出したのを皮切りに、「賃金増額追加要求書」さらに、勤務に関する十八項目、厚生関係の五十七項目を含む「勤務日常要求書」をあいついで提出し、賃金増額に関する交渉が未了である六月一日には「夏期手当要求書」を提出した。

そこで被申請人は、右の如き多項目にわたる組合の要求を慎重に検討し、誠意をもつて交渉にのぞみ、その間、会社経営の実情に照らし、同種他企業や、地域社会での賃金事情等を考慮し、最大の譲歩をし、賃金増額要求等に対し、誠意ある回答をなしてきた。ところが、組合は、この間、被申請人の回答に対し、何等の論議も尽さないまま、これを拒否する等の態度を再三にわたり繰返し、被申請人が、組合の要求するとおりの回答をしないことを捉え、団交拒否と主張したりした。

(二) 組合は、右の如き一連の春斗要求の過程の中で、昭和四十年三月二十日の第一波ストライキ(午後五時四十五分から午後九時までの全面ストライキ)以降、腕章、鉢巻、ワツペンの着用、会社施設構内での無許可集会、会社設備無許可使用等違法行為を織りまぜながら、数十回に亘り全面時限スト、部分時限スト、指名ストを繰返すなど争議権の乱用といわれるべき争議行為を重ねた。

三、その間、西沢は、組合活動に名を借りて業務命令、施設協定違反の行為等を、自ら率先して実行し、また繰返し、他の組合員を教唆指揮して同様のことを行わしめ、加藤は、上司の指揮命令に服従しないで、被申請人の職場秩序を乱し、業務を妨害し、被申請人の信用に著しい損害を与えた。

よつて、被申請人は、右違法な各行為のあつたことを理由として、申請人両名を懲戒解雇した。

その主なものの具体的内容は、次のとおりである。

(一) 西沢の解雇事由

(1) 業務命令違反、および業務阻害等

西沢は、

(イ) 組合員手島高幸、同伊藤博の両名を教唆扇動して、四月二十四日午後四時頃、被申請人第二スタジオ副調整室において、ラジオ番組「おしやれサロン」の録音にとりかかつた社外アナウンスタレント岡田昭子に、「制作部デイレクターの大半は組合員であるから、アナウンスするとデイレクターたる我々に使われる貴女の立場は不利になる」等といつてラジオ制作部本島制作部課長代理がこれを制止したのに従わず、約二十分間にわたり脅迫行為を継続し、その間、被申請人の録音業務を妨害し、社外の第三者たる右岡田に対する被申請人の信用を傷つけた。

(ロ) 組合員沢口昇三、同米弘一富両名を教唆扇動して、四月二十七日午後一時頃、いわゆるスト後の後始末業務だからという理由で、翌日放送予定のラジオ番組「おはようメロデイー」の録音業務を三十分間にわたつて拒否させ、ラジオ進行部前原課長代理の再三にわたる業務命令に従わさせなかつた。

(ハ) 組合員古賀喬、同水谷富彦の両名を教唆扇動して、五月十三日午後二時頃、社外テレビ番組中継業務に使用された各種自動車を右中継現場から本社まで移送する業務を被申請人に命じられた従業員の訴外佐藤幸雄、牧野好晴に拒否させ、業務命令に従わさせなかつた。

(ニ) 組合員永坂利男、同鈴木幸雄の両名を教唆扇動して、同日午後二時四十分頃、社外のテレビ中継業務に使用された楽器等を中継現場から本社まで撤収格納する業務を被申請人から命じられていた右の二人にこれを拒否させた。

(ホ) 組合員永坂を教唆扇動して、五月二十一日午前十時三十分頃、右(ロ)と同様の理由で同人が命じられていた社外演奏者に対する謝金伝票の作成業務を拒否させた。

(ヘ) 組合員菅生熙、同伊藤進の両名を教唆扇動して、六月八日午後〇時過ぎ頃、第六スタジオに無断侵入させ、執務中のスタジオカメラマン三名の組合員に対し、観客が前にいるのにワツペンを着用させた。これは、被申請人の信用を失墜し、業務の円滑な遂行を阻害する行為であるから、山崎技術部撮像課長代理が制止命令したのに従わなかつた。

(ト) 組合員でスタジオカメラマンの小沢宏、伊藤尋康、安藤重成の三名を教唆扇動して、同日午後三時過ぎ頃、第八スタジオの顧客の面前で「奥様大行進」の公開ビデオとり業務に従事していた右三名に、ワツペンを、約一時間にわたり着用させた。これは被申請人の信用を失墜し、業務の円滑な遂行を阻害するものであり、小野技術部長が再三に制止を命じたのに従わさせなかつた。

(チ) 右の三名を教唆扇動して、同日午後三時二十五分頃、第七スタジオの顧客の面前で、コマーシヤルビデオとりの業務に従事していた右三名に二時間にわたりワツペンを着用させた。小野技術部長、山崎技術部撮像課長代理がこれを制止したのに従わさせなかつた。

(リ) 組合員永村博美を教唆扇動して、六月十日午前十時過ぎ、顧客と応待中の同人をして赤鉢巻を着用させ、二十二日まで鉢巻をつけたまま接客させた。右永村は、羽雁編成部長、市来スポツト課長から着用禁止を命じられていたのである。

(ヌ) 手島を教唆扇動して、六月十九日午前十一時三十分頃、折柄、放送出演打合せのため来社した名古屋市尾形下水部長と赤鉢巻をつけたまま対談させ、松谷ラジオ制作部課長が、赤鉢巻を取るようにと命令したのに従わさせなかつた。

(ル) 加藤を教唆扇動して、後記(三)(1)(2)の業務命令違反、信用失墜、業務妨害、施設の無許可使用などをさせた。

(ヲ) 被申請人が、六月八日付、社長名、全従業員宛「告」なる文書を配布し、通達したところ、その一部(被配布者氏名欄)を切り取つたうえ被申請人に返上し、従業員として右通達を遵守出きない旨いつて、被申請人の発すべき業務命令に対し、従わない旨を予め宣言し、他の組合員に対しては、被申請人の右通達に従わないよう教唆扇動した。

(ワ) 六月八日午後三時三十分頃、関係者以外立入りが禁止せられていることを知りながら、第八スタジオ(C・B・Cホール)副調整室内へ所管責任者の制止拒否を無視して侵入し、業務を妨害した。

(2) 施設利用の無許可集会等の開催

被申請人会社の従業員は就業規則および、被申請人・組合間のいわゆる施設協定により、被申請人の許可なくして会社構内において集会を催し、あるいは、演説をする等の行為を為してはならないところ、西沢は、これに反し、自ら先頭に立ち、あるいは他の従業員を教唆扇動して、一月二十五日以降、六月三十日に至る間、次のとおり集会演説放歌高唱したり、させたりした。

(イ) 一月二十五日午後六時から約二時間、本社正面玄関で、西沢を含む組合員約百名および社外の労組員等、数百名が、集会、演説、放歌、高唱をした。

(ロ) 三月二十五日午後五時四十五分から約二十分間、右(イ)の場所で組合員約二百名が同様の行為をした。

(ハ) 三月三十日午前十時から約一時間三十分、本社二階出演者控室で、組合員立松等数名が集会をした。

(ニ) 同日午後五時四十五分から約三十五分間、四月十五日午前十一時四十分から一時間余り、同月二十日午前十一時五分から約十五分間、五月十日午前九時四十五分から約三十分間、いずれも、右(イ)の場所で組合員約二百名が右(イ)同様の行為をした。

(ホ) 四月六日午後五時五十分から約十分間、五月二十日午後〇時十五分から約三十分間、六月三十日には正午から約四十分間、右(イ)の場所で西沢を含む組合員数十名ないし二百名が右(イ)同様の行為をした。

(3) 会社施設の無許可使用等

被申請人の会社従業員は、被申請人の許可なく職務外の目的で、被申請人施設を使用できず、とくに前記施設協定第三条により、争議時における施設の利用は局限されていたところ、西沢はこれに違反し、四月一日から同月二十日に至る間、次のとおり自ら又は他の従業員を教唆・扇動して、会社設備等を無許可で使用したり、させたりした。

(イ) 四月一日午前十時三十分頃、本社六階エレベーター前廊下に、西沢を含む多数の組合員が集り使用し、大騒ぎをした。

(ロ) 同日午後一時頃、本社六階食堂に加藤が侵入し、使用した。

(ハ) 四月三日午後一時二十分頃、右(ロ)の場所に加藤外一名の組合員が侵入し、使用した、

(ニ) 五月十一日午後一時二十五分頃、本社五階事務室内に、組合員伊藤進が侵入し、ビラを配布し、業務を阻害した。

(ホ) 五月二十日午後五時二十分頃、本社第八スタジオ副調整室に、組合員伊藤進および立松の両名が侵入し、責任者の制止、退去命令に反抗し、業務を阻害した。

(ヘ) 五月二十日午後四時三十分頃、右第八スタジオに、組合員古賀喬が侵入し、スポンサー代理店、出演者、その他第三者に対し、ビラを配り組合の宣伝活動をした。

(4) 被申請人に対する誹謗・虚構宣伝

西沢は、組合執行委員長として、その機関紙等を通じて、昭和四十年春頃、次のとおり、被申請人の信用を害する行為をした。

(イ) 組合は、二月二十三日、三月三日、五日、十二日、十九日、二十五日、四月二十二日、五月十一日付のビラを配布し、いわゆるラジオ・ライン・ネツトワークを批判し「スタジオに閑古鳥が鳴く」、「C・B・Cには三、四年先を見通して、ラジオのあり方を考える知恵者すらいない。」「C・B・Cは点と線になる。」「労働者の悲しみのせて呼ぶ電波J・R・N(ジヤパン・ラジオ・ネツトワーク)スポンサーが呼んでいる。」等、再三、事実を誤解させる誇張と偏見に満ちた情報宣伝活動を行い、被申請人に対し、悪意に満ちた誹謗をした。

(ロ) 組合は、三月十七日頃、四月六日頃、五月十二日および五月十三日、組合員多数を動員して、名古屋駅、栄町等、名古屋市内数ケ所の街頭で、暗に被申請人を指して「テレビ・ラジオ番組は街では全くなつていない、でたらめだといわれている。」「私達に首切り、配転の嵐が襲つて来る。」「自社製作の良い番組がなくなつても会社は平気である。」等事実に反する趣旨を記載したビラを公衆に配布し、虚構で事実を歪曲した宣伝をし、被申請人の信用を傷つけた。

(5) 会社施設内における政治活動

被申請人就業規則は、会社施設内における政治活動を禁止している。それなのに、西沢は昭和四十年二月一日から六月七日までの間に次のような内容の組合ニユース等を組合員である従業員に、配布したり、組合員に配布させたりして、約十六回にわたり政治活動をした。それらのビラは、「原子力潜水艦阻止緊急動員」「危機に立つ平和憲法―日韓―戦争への道」、「沖縄県人の生活は、軍政の下でひどい圧迫を受けている」「沖縄行進に参加しよう」「ベトナム戦争反対」「三矢作戦大講演会参加要請」「安保反対県民集会へ参加要請」等々の見出しにみられる如く、特定の政治上の主義主張の貫徹を目的とする政治活動のためのビラであつた。これは、被申請人が前記のとおり、報道言論機関として、不偏不党、政治的中立性を保持して、公正な報道を行わねばならない責務を負つていることから、従業員に対し禁止している政治的な活動に該当する。

(二) (1)ないし(5)に列挙した行為は、被申請人と、組合との協定、就業規則等に違反する。しかもそれは約半年間以上にわたつて執拗に、殆んど連日、繰り返されたもので、正当な労働組合活動の限界を著しく逸脱し、被申請人の名誉信用を傷つけ、被申請人の企業秩序を破壊する結果をもたらしたので、被申請人は、西沢の右行為が就業規則第六十八条所定の懲戒解雇理由である「規則遵守違反」「職務懈怠、業務命令懈怠」、「故意又は過失により、会社に重大な損害を与えたとき」等に該当し、かつその情状において悪質であると認め、懲戒解雇した。

(三) 加藤の解雇事由

(1) 業務命令違反

加藤は四月当時、テレビ局業務本部営業部職員として、スポンサー・代理店等に対する営業活動を担当していたものであるが、

(イ) 四月六日午後、上司たる高橋営業部長に伴われ、各代理店へ着任の挨拶廻りをした際、上司より挨拶廻りについては鉢巻、腕章、リボン等を着用し対外的に失礼又は不快感を与えるような異様な風態は禁止する旨の命令を受けたにも拘らず、これに従わずリボンを着用して、株式会社電通外四社の各名古屋営業所を廻り、協同広告株式会社名古屋支店では加藤支店長から「こんなことはセールスマンのすることではない」と叱責されるなど、被申請人の対外信用を失墜せしめる行為をした。

(ロ) 四月上旬頃より、五月上旬にわたり、高橋営業部長および須江営業部課長の再三の業務命令を無視し、鉢巻、腕章、リボンをつけて執務した。これは就業時間中に組合活動をし、職場の秩序ある運営を著しく阻害するものである。

(ハ) 六月二日午後営業関係の書類を株式会社電通名古屋支社内「テイールーム電通」内で、商談中の高橋部長に届けるのに赤鉢巻をつけたまま、右商談の席にやつて来た。高橋部長が電通支社関係者等とともに、鉢巻をはずすようにいつたのに、加藤は「これはとれません」と高橋部長の命令を拒否し、同席者に対し不快、驚愕の念を与え、被申請人の信用を甚しく傷つけた。

(ニ) 六月八日、被申請人、社長が、営業活動その他会社業務に支障を来たすが如き鉢巻の着用を禁止する旨、告示をもつて命令し、翌九日、高橋部長から重ねて同様の注意警告を受けたにも拘らず、加藤はこれを拒否しかえつて、右高橋部長の行為は不当労働行為だとわめき、威迫侮辱した。即ち、加藤は、右高橋の行為が、不当労働行為に該るとして、その趣旨を記載した「不当労働行為罪状証明」と題する文書を作成し、これに署名するよう高橋に求め、拒絶されるや、常時、多数の者が出入りしその内容を認識し得る自己の業務机の上に右文書を置き、その上に透明ガラスを重ねて、高橋部長の名誉を毀損し、一方これによつて顧客に対し、被申請人の企業秩序に対し、大いなる疑問を抱かせ、会社の信用を失墜させ、業務の運営を阻害した。

(ホ) 六月十一日頃、業務上産業通信社名古屋支社および株式会社電通名古屋支社へ行つた時も鉢巻を着用したままであつたため、株式会社電通名古屋支社町田支配人や産業通信社名古屋支社伊藤専務取締役から取引にまで組合活動を持込む非礼に対し厳しく叱責された。これについて、高橋部長に右両名から、電話で厳重な抗議があつたほか、株式会社電通名古屋支社からは、後日、そのことについて、被申請人宛文書による抗議がされた。これによつて、被申請人は、信用を著しく傷つけられた。

(ヘ) 六月中旬頃、被申請人の広告放送のスポンサーである寿がき屋食品株式会社社長菅木周一が来社した際、赤鉢巻を着用したまま、執務していたため、「就業時間中、会社の命令に違反している人が増えるようでは、民間放送としてまことに困る。私の方も取引につき考え直す」と右社長より、高橋部長が非難を受け、被申請人の信用を失墜した。

(ト) 六月十八日、株式会社大広名古屋支所へ封書を持参したが、その赤鉢巻を着用したままであつたため、同支社田島次長より激しく叱責された。

高橋部長も、これについて、右田島より、電話にて厳重な抗議を受け、被申請人は信用を失墜した。

(2) 会社施設の無許可使用

加藤は、四月一日と三日との午後一時頃、自ら指名ストライキ中であるにも拘らず、前記被申請人組合間の施設協定を無視し、本社六階の食堂に侵入し、その施設を使用し、居合わせた被申請人安藤常務、または田沼課長に制止されたのに同所に居座つた。

(四) よつて被申請人は、加藤が前記のとおり、従来の取引慣行や常識に反しかつ顧客の心情と信頼を無視して、円滑な営業活動をさまたげる結果となる前記各行為を、上司、同僚の説諭指導を省りみることなく、頑迷に度重ねて行い、被申請人の信用を毀損したので、その情状を悪質と認め、前記西沢と同様就業規則第六十八条の規定に基づき、懲戒解雇した。

第五、被申請人の右主張に対する申請人両名の主張

一、西沢の解雇事由について

(1)  業務命令違反および業務阻害等について

(イ) 被申請人の主張三、(一)(1)(イ)の事実中、脅迫・業務の運営妨害・信用を傷つけたとの事実は、否認する。

岡田の行為はスト破りであるから、その旨を告げ、ストライキ中業務の代行をしないようにと説得したものである。

(ロ) 同(1)(ロ)ないし(ホ)の事後措置拒否に関する各事実中従業員が事後措置の業務を被申請人主張のとおり拒否したことはいずれも認めるが、これは組合の発した斗争指令にもとづき、行われた附随的争議行為であつて業務命令違反の違法行為ではない。

(ハ) 同(1)(ヘ)ないし(ル)のワツペン等の着用に関する各事実中、従業員が被申請人主張のとおり、ワツペン等を着用した点は、いずれも認めるが、これは就業中組合活動をし、あるいは職場規律違反の行為をした場合に当らない。従業員がワツペン等を着用し代理店の係員と応接したため、被申請人業務の運営に支障を及ぼした事実はない。ゲスト出演者との対談、応接に際しては、「現在組合と会社の争議中なので、このような赤鉢巻の格好で失礼します」と挨拶しているのであつて、業務の運営に障害を与えた事実はない。

(ニ) 同(1)(ワ)の第八スタジオ副調整室への無断侵入に関する事実中、同室へ立入つた事実は認める。しかし、これは、組合の指令によるワツペン着用に対し職制が介入しているとの連絡があつたため、組合役員として、その点検のために、立入つたのであつて、正当な組合活動である。

(2)  施設利用の無許可集会等について

被申請人主張の場所で、集会した事実は認める。

正面玄関前での集会は、従来の労使慣行上、容認されてきたものである。施設協定も、右正面玄関前集会については、適用がない。

故に就業規則に違反しない。二階出演者控室の利用も、従来の労使慣行上容認されていたものである。

(3)  無許可による会社施設の使用等について

被申請人主張の使用行為のあつたことは認めるが、これは施設協定にいわゆる会社施設の「使用」には該当しない。第八スタジオでの第三者に対するビラ配布は、施設管理上、何等問題なく、正常な組合活動である。

(4)  誹謗・虚構宣伝について

被申請人主張のビラを配布したことは認めるが、それはラジオラインネツトワークという放送体制の合理化を組合の立場から評価し、批判したもので、組合の情宣活動に過ぎない。

(5)  会社施設内における政治活動について

同(5)の事実中被申請人の挙示する行為があつたことは認めるが、これは厳密には、政治活動でない。もしそうだとしても、施設内での政治活動を禁止した就業規則の規定は、憲法二十一条の保障する表現の自由を制限するもので、民法第九十条に違反し、無効である。又、この点に関する就業規則の規定が被申請人の施設管理権に由来するとすれば、政治活動の態様を区別しないで、一般的に禁止しているのは、合理性がなく、公序良俗に反し無効である。

二、加藤の解雇事由について

いわゆる重鉢巻斗争は、単に労使の争議状態と労働組合の団結を表示するだけで、いわゆる開口サボタージユとは異なり、正当な組合活動である。

加藤は、広告代理店関係者と面接する際にはすべて鉢巻を着用している事由を説明し、礼を失しないよう配慮している。その他、赤鉢巻を着用し、社内で執務していることが業務に支障を及ぼしたことはない。さらに「不当労働行為罪状証明」を被申請人主張のような方法で掲示したことは認めるが、これは高橋部長の不当労働行為への抗議の意思の表明であり、不当労働行為を指摘し、これに抗議する行為である以上、正当な組合活動である。

第六、証拠<省略>

理由

一、当事者間に争いのない事実

(一)  被申請人は民間放送会社であること。

(二)  西沢は、昭和三十六年四月一日、被申請人に入社し昭和四十年七月七日当時、ラジオ局アナウンス部職員であり、組合の執行委員長であつたこと。

(三)  加藤は、昭和三十二年四月十五日、被申請人に入社し昭和四十年七月七日当時、テレビジヨン局業務本部営業部職員であつたこと。

(四)  被申請人は、昭和四十年七月七日、申請人両名に対し、それぞれ懲戒解雇する旨の意思表示をしたこと。

二、昭和四十年春斗の経過

成立に争いのない疎甲第四ないし十四号証、二十六号証、乙第二号証、証人大脇哲の証言により真正に成立したものと認められる疎甲第三十号証、証人伊藤幸三の証言により真正に成立したと認められる疎乙第五十七、五十八、七十一、七十二、八十一号証、証人大脇哲、同遠藤重夫、同伊藤幸三の各証言、申請人両名の本人尋問の結果によれば、次の事実が疎明される。

(一)  組合は、昭和四十年二月十六日、被申請人に対し、まず同年四月一日より本給を一率八千円増額すること、当時の基本給算定方法を是正し、最低保障制等を織りまぜ、いわゆる格差是正を行うこと、家族手当の増額、通勤手当の実費額支給等を内容とする要求を提出し、右各項について三月一日までに団体交渉を開き、回答するよう要求したのをかわきりに、二月二十五日、さらに住宅手当を新設して一律三千円を支給すること、地域手当の算定方式を変更しないこと、などの追加要求をし、三月十一日には同月二十日までに団体交渉を開き回答するようにとの条件を付して、日曜公休の原則・滞泊勤務の際における仮眠時間を連続五時間以上とすること・一部職場に対する増員配置等を内容とする勤務要求、冷暖房の完備・社員食堂の整備、充実・休憩室の改善、新設・娯楽、スポーツ施設の設置・健康管理の充実・保健薬の支給・宿直室の設備の改善・売店の充実・社宅や寮の増設等の日常要求、合計数十項目にわたる改善要求等を相次いで提出し、その間二月十六日には春斗態勢を強化するため、組合員にリボンを着用させた。

この間団体交渉の方式をめぐつて争いがあり、いわゆる団交ルールの確立が先決だとする被申請人との間で十分な団体交渉が行われるに至らなかつたところ、組合は、被申請人との団体交渉による春斗諸要求の実現が期し得られないと判断して、三月十六日団交拒否反対スト権、三月二十二日賃金増額等スト権、芸能団契約解約反対スト権、四月十五日勤務日常要求スト権を確立した。組合は、これらのスト権確立後三月二十五日、三十日、四月一日、六日、九日、十日、十四日、十五日、二十日、二十六日、五月七日、十日の各日、全面時限スト(但し、出張中の者について若干の例外があつた)を行つた。

そのほか、四月十七日テレビ局、ラジオ局、報道局、総務局、技術局、四月二十四日から二十六日までラジオ局、四月二十五日と二十六日の両日ラジオ局、四月二十八日から五月四日までテレビ局、四月三十日テレビ局、東京支社、五月一日から四日まで東京支社、五月七日東京支社、大阪支社の各一部の職場において、部分時限ストを行つた。

さらに、組合は、四月一日から六日まで遠藤重夫、加藤の両名に対し、四月一日から七月三十日まで広田与一に対し、それぞれ指名ストをさせ(以上指名ストライキの事実については当事者間に争いがない。)、四月十九日には永村広美、沢口昇三に対し、四月二十二日には西沢らに対し、以後四月二十四日、二十五日、二十六日、二十八日、三十日、五月十一日、十二日、十三日、十四日、二十日、二十八日、六月五日、二十四日、二十六日等に組合員の一部に対し指名ストライキを行わせた。

その回数は全面時限スト十七波、部分時限スト(指名ストを含む)等五十波、合計七十七波に及んだ。

又、これと平行して、二月頃にはリボンを、三月頃には腕章を、四月には加藤等に鉢巻等を、六月頃からはワツペンを、それぞれ組合員の全部又は一部に着用させた。

被申請人は、二月十六日付の第一次賃金増額要求、二月二十五日の追加賃金等増額要求、三月十二日の勤務日常要求につき、前二者については三月一日、その他については三月二十日をそれぞれの回答期限とするものであつたため、鋭意社内において検討したが、要求内容自体が、例えば賃金については実質一人当り一万五千円以上の増額となり(前年度の妥結は三千六百円余である)、また、組合の要求する日常諸要求のうち冷暖房施設の改善の如きは約一億円余の巨額の費用を要するなど過大な内容を含んでいたことや、組合と被申請人との労働協約が昭和三十九年三月三十一日限りで失効した後は、団交ルールが確立せず、議題、人数、交渉担当者等が不明確なまま無制限な多衆交渉をすることになるのでは交渉がいたずらに混乱し、団交の成果があがらないから、人数、議題の限定、担当者についてある程度恒定した団交ルールを確立することが先決と考え、組合との間に二月から三月にかけて一か月半余の期間これをめぐる論議をしたが、意見は一致しないままに実質的な団交をしなかつた。組合は、この点について、被申請人が団交を拒否しているとして、前記のとおりスト権を確立した。

組合の勤務日常要求は、前記のとおり広範多岐にわたり、冷暖房の施設の改善要求の如きは巨額な費用を要するため、結果的には四十一年度への継続議題とされたが、被申請人は賃金増額については四月十二日ほぼ前年度回答にみあう平均三、六二四円の増額を回答した。しかしながら、組合は、これに対し、被申請人と何ら話し合いをしないまま翌十三日これを拒否し団交方式に関する提案を行つた。

被申請人は更に再検討し、四月二十六日第二次回答をして、平均三、九二四円の増額回答をした。三月二十五日以降、この間組合が行つたストライキは、全面、部分、指名を合わせ二十九波に及んだ。

(二)  一方、これとは別に、四月一日付の百十六名にのぼる配置転換について、三月九日と十一日、被申請人の内示があり(この点については当事者に争いがない)、組合は被申請人に対し、三月十七日右人事移動について組合と団交を開き話し合いがつくまでこれを延期するよう要求した。被申請人は、人事権は原則として会社が固有するものという立場から、組合の要求を拒絶した。組合は、三月二十二日不当配転反対スト権を確立し配転反対ストを行つた。そして、四月一日、被申請人が配転を実施したところ、組合員、広田与一、遠藤重夫、加藤の三名は着任を拒否し、前記のとおり組合指令による指名ストに入つた。広田はテレビ進行部から技術局送信技術部(鳴海町所在)へ、遠藤はテレビ局撮像課から技師長付きへ、加藤は報道局ラジオ報道部からテレビ局営業部へ、それぞれ配置転換されたものである。

(三)  組合は、被申請人とCBC合唱団員、CBC管弦楽団員との出演契約の内容につき、CBC合唱団労働組合、CBC管弦楽団労働組合と別個に、三月二十二日芸能団契約反対スト権を確立した。

(四)  いわゆる、団交ルールの確立した四月中旬以降、被申請人が、ことさら組合との団交を拒否したとの事実はなかつた。

(五)  組合と被申請人との間には昭和三十九年四月一日以降労働協約は失効していたため、右協約に基くストライキの事前通告制度は存在しなかつたが、その後も組合はストライキの突入解除についての通告を実際上行つていた。

以上の事実が疎明され証人大脇哲、同遠藤重夫の各証言、申請人両名本人の尋問結果中、右認定に反する部分はこれを措信せず、他に右認定をくつがえすに足る疎明資料はない。

三、懲戒事由とされたいわゆる組合活動

成立に争いのない疎甲第二十七号証、第六十、六十一号証、申請人西沢本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疎甲第十五ないし二十五号証、四十九ないし五十三号証、五十七、六十八号証、申請人加藤本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疎甲第五十八、五十九号証、成立に争いがない疎乙第一、二号証、六ないし十四号証、十五号証ないし十八号証の各一、二、十九号証の一、二、二十、二十一号証、二十二号証の一、二、二十三ないし二十五号証、二十六号証の一、二、二十七号証、二十八号証の一、二、二十九号証、三十号証の一、二、三十一号証の一、二、三十二号証の一、二、六十二号証、八十七、八十八号証、証人神谷正夫の証言により真正に成立したと認められる疎乙第三十三号証、三十七ないし四十一号証、四十四ないし四十八号証、証人伊藤幸三の証言により真正に成立したと認められる疎乙第四十九ないし五十三号証、五十九ないし六十一号証、六十三号証、七十一ないし七十五号証、七十八号証、八十一号証、証人高橋一夫の証言により真正に成立したと認められる疎乙第三十四号証の一二、五十五号証の一、二、六十四ないし六十七号証、検甲第一号証、に証人遠藤重夫、同神谷正夫、同高橋一夫の各証言、申請人両名各本人尋問の結果を綜合すれば、次の事実が疎明される。(但し、(一)(1)ないし(14)中各(イ)の行為、(二)(1)ないし(5)の行為、(三)(1)ないし(5)中各(イ)の行為、(四)(1)、(2)中各(イ)の行為、(五)中(イ)の行為、がなされた事実は、当事者間に争いがない。)

(一)  業務命令違反等

(1)  (イ)、四月二十四日午後四時頃、被申請人第二スタジオ副調整室において、ラジオ番組「おしやれサロン」の録音どりの業務を、社外アナウンスタレント岡田明子が行おうとしていた。

(ロ)、その直前、組合員手島高幸、伊藤博の両名は、ラジオ局制作部課長本島勲から、右岡田の放送を録取するよう業務上の指示を受けたが、「スト破りをするタレントと業務を遂行することは、自分もスト破りに加担することになり、組合の斗争指令に反するものであるから、非組合員であるあなたが録音業務を代行してほしい」と主張し、このため約二十分間、録音の開始を遅延させた。その間手島と伊藤は岡田に対し、「あなたは知らないかもしれないが、あなたのしていることはスト破り行為といつて、組合の人への裏切り行為になるのですよ」、「あなたは組合員であるデイレクターの人達からもにらまれて仕事に影響するかもしれない。」といい、岡田は、仕事が無くなつては困ると考えたが、予定された録音を終了し、その後、制作部長にこの間の事情を訴えた。

(2)  (イ)、四月二十七日午後一時頃、組合員沢口昇三、同米広一富は、いわゆるスト後の後始末業務だからという理由で、翌日放送予定のラジオ番組「お早ようメロデイー」の録音業務を二十分間にわたつて拒否した。

(ロ)、右拒否にかかる業務は、同月二十四日、ラジオ進行部の全組合員、アナウンス部の女子組合員に対し行われた部分指名ストにより生じた事後措置業務である。

(ハ)、この場合および後記(3)ないし(5)のいわゆる事後措置拒否には、ストライキが行われた場合、当該ストライキ中に処理される予定であつた業務をストライキ解除後の就業時間に処理することを拒否し、ストライキを効果あらしめるために行われたもので、前提となるストライキをした者と事後措置拒否をする者とは必ずしも一致するとは限らず、それがなされる時間も事前に明らかになる場合と、事後措置業務に関する業務命令が発せられて始めて明らかになる場合があつた。この場合、組合はストライキ指令または被申請人に対するストライキの通告において統制事項または事後措置拒否指令という形であらかじめ先行ストライキを行う際に事後措置拒否のありうることは明らかにしていた。しかし、事後措置拒否の場合は通常のストライキの場合と異り被申請人に対し、その突入、解除の通告は行われていなかつた。

(3)  (イ)、五月十三日午後二時四十分頃、組合員佐藤幸雄、同牧野好晴は、右(2)と同様の理由で、各種自動車を本社まで移送する業務を拒否した。

(ロ)、右両名は、同日午後二時頃、上司である総務部自動車課長伊藤正就から同課事務室において同日第十三回民放大会中継放送のため市内国際ホテルで使用した中継車と電源車を本社まで移送する業務を命ぜられたが、その遂行を遷延していた。そのうち組合から斗争委員である古賀喬、水谷富彦の二名が、本社自動車課事務室にいた右伊藤の所へきて「民間放送大会に関する中継車、電源車、バス等による送迎移送の業務命令は拒否する。」と告げたため、牧野、佐藤は、ついに、命じられた移送をしなかつた。

(ハ)、右拒否にかかる業務は五月十二日民放祭番組中継関連部門の組合員を対象にした部分指名ストにより生じた事後措置業務である。

(4)  (イ)、五月十三日午後二時四十分頃、組合員永坂利男、同鈴木幸雄は右(2)と同様の理由で、各種楽器類を、本社まで移送する業務を拒否した。

(ロ)、右両名は、これより先き、前日午後四時から当日二時三十分まで指名ストライキに入つていたが、これが解除されたので、上司である企画局芸能部長松枝孝治が、同部デスクにおいて前記(3)の大会において使用したトラツク約一台分に相当する量の楽器等を本社へ撤収、格納する作業、ならびにその作業を手伝うアルバイト学生を指揮する作業、を命じたところ、両名は、「自分達としては仕事だからやりたいが斗争委員会からの指令が出ているので、我々は事後処理はできない。」と斗争指令書を見せ業務命令を拒否した。右拒否にかかる業務は右(3)(ハ)と同様のものである。なお、組合は同日「全組合員は部分指名スト解除後も、部分スト中の業務の事後処理(中継現場よりの器材撤収その他移送等)の一切を拒否せよ。」との斗争措令を出していた。

(5)  (イ)、五月二十一日午前十時三十分頃、組合員永坂利男が前記(2)と同様の理由で、社外演奏者に対する謝金支払い伝票の作成業務を拒否した。

(ロ)、右、拒否にかかる業務は、前日「うたまね読本」制作関係者に対し行われた部分指名ストにより生じた事後措置業務である。

(6)  (イ)、六月八日午後〇時過ぎ頃、第六スタジオに、組合員菅生熙、同伊藤進が立入り、業務中の組合員三名に、顧客の面前で、約一時間三十分にわたりワツペンを着用させた。このワツペンとは赤地に白で「団結、民放労連、CBC労組」などと記入してある長さ一〇センチ、幅八センチほどのもので、着衣の胸のあたりにつける。以下認定のワツペンも同様である。

(ロ)、当日第六スタジオでは午前十一時二十五分頃から「オリエンタル中村」のコマーシヤルビデオテープ撮りが開始されていた。当日その録画のカメラを担当していたのは岡田、礎島、山本であり、右三名は、リハーサル中はワツペンをはずしていたが、本番録画に備え、他の技術者、スポンサー、代理店の関係者が集つた後、前記菅生、伊藤が、現場責任者である技術部撮像課課長代理山崎悦邇の許可なく同スタジオ副調整室内にそこで仕事をしている組合員が指令に従つてワツペンをつけているかどうか調べるため入室し、「制作業務中であるから退出してほしい。」との山崎の言葉を無視して同室内にとどまり、前記三名にワツペンを着用するよう説得し始めた。そのため、前記三名は、山崎の命令にしたがわず、約一時間半にわたつて顧客等の面前でワツペンを着用した。

(7)  六月八日午後三時過ぎ頃第八スタジオの顧客や観客の面前で、組合員小沢宏、伊藤尋康、安藤重成は現場の作業責任者の命令に反し、一時間にわたりワツペンを着用した。

(8)  (イ)、六月八日午後三時二十五分頃、第七スタジオの顧客の面前で前記菅生、伊藤は約二時間にわたり、現場の作業責任者の命令に反し、ワツペンを着用した。

(ロ)、当時、スタジオでは「松坂屋」コマーシヤルビデオテープ撮りの作業が行われ、スポンサー、代理店等の顧客が現場にいた。

(9)  (イ)、六月十日から二十二日までの間、組合員永村博美は赤鉢巻等を着用したまま顧客と応待した。

(ロ)、永村は、テレビ局スポツト課に属し、とくに、スポンサー代理店等来客との応接が多い業務を担当しており、テレビ局編成部長羽雁清や、市来スポツト課長から、来客と応接する場合には赤鉢巻等をとるようにとの指示命令をたびたび受けたが斗争委員会からの指令であるからとの理由で、勤務中これを着用し続けた。

(10)  (イ)、六月十五日午前十一時三十分頃、ラジオ局制作部員で組合の斗争委員である手島高幸は、放送出演の打合わせのため来社した出演者と赤鉢巻を着用したまま対談した。

(ロ)、ラジオ局制作部課長松谷敦が、手島に、「お客様の前で赤鉢巻を巻いたままなんて失礼だから、赤鉢巻をはずしなさい。」と指示したが、同人は、「ゲストの方には、こんな恰好で失礼ですがと断わつてあるから」といつて、斗争委員会で決定された着用であることを理由に、赤鉢巻の着用を継続した。

(11)  (イ)、加藤は、昭和四十年四月六日当時、テレビ局業務本部営業部職員として、スポンサー、代理店等に対する営業活動を担当していたが、四月六日午後、上司に伴われ各代理店へ着任の挨拶に赴くに際し、鉢巻、腕章、リボンを着用していては異様な服装として、相手に失礼又は不快感を与えることになるので、その着用を止めるようにとの高橋営業部長の命令を受けたが、これに従わず、そのまま、株式会社電通名古屋支社、外四社に赴いた。加藤は、四月上旬より五月上旬にわたり、高橋、須江課長の鉢巻、腕章、リボンをとるようにとの再三にわたる命令を拒絶した。加藤は、前記の服装のまま、六月二日には株式会社電通名古屋支社内「テイールーム電通」内で用談中の高橋に書類を届け、六月十一日頃産業通信社及び株式会社電通名古屋支社に、六月十八日には株式会社大広名古屋支社へ赴いた。

(ロ)、加藤は、四月一日付の人事移動でテレビ局営業部に配属された。営業部職員十名の業務内容は、社内業務を主とする営業デスク要員一名を除き、すべて対外的な営業セールス活動を担当することとされていた。当時営業部が担当していた対象顧客は約四百十社余りで、うちスポンサー関係が約三百七十社、広告代理店関係が約四十社であつた。この四百十社余りの顧客を絶えず訪問し連絡を保ちつつ、当時いわゆる不況ムードで広告業務が沈滞している中にあつて、営業活動を継続しなければならない事情にあつたため、とくに加藤の早急な営業業務への習熟が期待されていた。高橋部長は、日常業務の上で一番関係深く絶えず接触しなければならない主要な代理店関係者に加藤を紹介すべく、四月六日午後一時頃、各代理店に挨拶廻りに廻る旨指示した。高橋部長は、初対面の挨拶に連れていくため、当日スポーツシヤツ姿で出勤していた加藤に対し、営業部員としてのエチケツト等について説明し、洋服、ワイシヤツ、ネクタイを自宅から持つて来させ、服装を整えさせた。しかしながら、加藤は、鉢巻を巻き、腕章を着用し、左胸にワツペンを着用したままであつたため、すぐはずすよう命令したところ、リボンを除き他のものは着用をやめた。右リボンは、幅二センチ、長さ十センチの黄色の布製で、一方的配転反対、要求貫徹の文字が印刷されたものであつた。このリボンは、当日の訪問先である株式会社電通名古屋支社、株式会社産業通信者名古屋支社、株式会社三晃社では、とくに事あらだてて、咎めだては受けなかつたものの、共同広告株式会社名古屋支社では、加藤支店長に見咎められ「なんだ、これは。こんなものをつけるのはセールスマンのすることではない。だいたい君達のストは、大名ストだ。わが社に比べて沢山の給料をもらつていて何が不足か。君は、組合の役員をやつているのか、CBCの組合のやつていることはまちがつている。スポンサー筋では評判が悪いぞ。CBCの不人気は我々広告代理店に悪い影響がある。」と叱責されるに至つた。そのため、高橋部長は、その場をとりなし、早々に同社を辞したが、このため、同日はその他の広告代理店への挨拶を取り止めた。高橋部長は、帰社途中の車内で加藤に対し、右出来事を引用して、商売の道は決して甘くなく、社会の目は非常に厳しい等とその自重を要望する趣旨の話をした。しかし加藤は、翌日以降も鉢巻、腕章、リボンの着用を続けていたため、高橋部長は、やむなく挨拶廻りを見合わせた。

(ハ)、鉢巻は白地に「CBC労組」と黒字で染め抜かれた白い布製で、裏地が赤色である。腕章は、赤地に白文字で「団結CBC労組」と染め抜かれたものである(鉢巻は、いわゆる重鉢巻斗争の時期には裏返し着用されていた)。

(ニ)、五月十一日夕刻、須江営業部課長が、加藤に対し、「外勤活動をするには赤鉢巻の着用は困る。社の信用に関する問題であり、営業の面からも影響があるので取りはずすよう」指示したところ、翌十二日午後〇時過ぎ頃、西沢はじめ組合役員等多数が営業部デスクに押しかけ、須江課長を取り囲み「加藤に鉢巻等を取りはずせと言つたのは不当労働行為だが知つているか。鉢巻をしていて営業活動ができないのか。」等とくつてかかり、約二十分間須江課長を非難攻撃した。

五月上旬ごろ須江課長が株式会社東山会館に赴いたところ、支配人から赤鉢巻姿をして営業活動をしている加藤のことを指摘され、「加藤を会館へ寄こすな。彼の鉢巻姿も論外だが、そういうものの考え方の人が私の会社へ顔を出すようなことがあれば、私の会社は君の局へ提供番組は停止せざるを得ないから承知するように。」と強く警告された。

(ホ)、加藤は、六月二日午後、営業関係の書類を株式会社電通名古屋支社内「テイールーム電通」内で商談中の高橋部長に届けた際、赤鉢巻をつけたままの服装で右商談の席に赴いたため、高橋部長が電通支社関係者等とともに鉢巻をはずすよういつたがこれに従わなかつた。

(12)  (イ)、加藤は、六月八日付で被申請人社長が、会社が業務に支障を来たすと判断したときは鉢巻等の着用を禁止する旨従業員に命令した翌九日、高橋部長からも重ねて同様の注意警告を受けたにも拘らず、鉢巻等の着用を続け、右高橋部長の鉢巻等を取るようにとの注意警告に対し、それは不当労働行為にあたるとの抗議をした。その際、高橋部長の行為が不当労働行為にあたるとの趣旨を記載した「不当労働行為罪状証明」と題する文書を作成し、これに署名するよう右高橋に求め、拒絶されると自分の業務机の上のガラスの下に右文書を置いておいた。その机の附近に出入りする者が多く、それらの人が右の文書を読もうとすれば、読むことができた。

(ロ)、すなわち、加藤は、「六月九日午後四時五分、私は加藤剛君に対し、次の命令を発した。就業時間中代理店等、外部からの来客と直接対人接渉する場合には、たとえ社内にあつても鉢巻、腕章、ワツペンをはずせ。以上・右証明する。」とかいて高橋部長に、これに署名捺印するよう迫つた。高橋部長がこれを拒否したところ、同文書の右側余白に、赤のマジツクペンで、「不当労働行為罪状証明」、左側の余白に同じく赤で、「TV営業部長サイン拒否」と書き加えた。右文書は、わら半紙一枚の大きさで、赤色文字の大きさは約四センチ角であり、その他の文字の大きさは二センチないし三センチ角であつた。

(ハ)、加藤の業務机の設置せられている場所は、営業部室内であるため、常時顧客が出入りし、重要なスポンサーや代理店の幹部等も一日平均数十人が来訪するところである。そのため、来客の中には、加藤の度を過した行動を心よからず思い、かえつて高橋の立場に同情するものもあり、六月中旬来社した産業通信社名古屋支社(広告代理店)の幹部が「CBCさんは無法地帯のようで、何ともいいようがないね。」などといつたこともあつた。

(ニ)、加藤は、六月十一日頃業務上の所用のため、産業通信社名古屋支社および株式会社電通名古屋支社に赴いたが、その際鉢巻等を着用したままの服装であつたため、株式会社電通名古屋支社町田支配人や、産業通信社名古屋支社伊藤専務取締役から「組合運動を対外的な営業活動に持ち込むな。」と苦情をいわれた。これについて、同日夕刻になつて、右町田、伊藤の両名からそれぞれ高橋部長宛電話で厳重な抗議があり、高橋部長は翌日両社を訪問し、陳謝し、被申請人の小島副社長は株式会社電通名古屋支社へ事情の釈明および陳謝に直接出かけたことがあつた。なお、株式会社電通名古屋支社からは、六月二十一日付で、被申請人社長宛抗議の書面が寄せられた。その書面中には、被申請人と組合との昭和四十年における斗争が三か月余経過するも妥結に至らず、得意先関係において批判、非難の声もたかまりつつあること、被申請人会社労働組合の組合員中に、最近常規を逸した行動を散見すること、鉢巻姿のまま業務連絡に来訪した被申請人社員のあること、電通名古屋支社は、新聞社、スポンサー等関係者の来訪が極めて多いが、鉢巻姿で来訪した者はかつてないこと、電通社内においても組合員の執務時間中の組合活動は厳しく規制しており、社内の服務規律の維持、社員のしつけ、エチケツト向上の見地からも右の如き服装者の来社は支障があること等の趣旨が記載されていた。

(ホ)、六月中旬頃、被申請人の広告放送のスポンサーである寿がき屋食品株式会社社長菅木周一が来社した際、加藤が赤鉢巻を着用したまま執務していたため右菅木が「就業時間中、会社の命令に違反している人がふえるようでは、民間放送としてまことに困る。私の方も取引につき考えなおす。」と高橋部長に非難し、取引停止の措置もあり得る旨ほのめかした。

(13)  (イ)、被申請人が、六月八日右(12)の全従業員宛告示文書を配布通達したところ、西沢は、右文書およびこれより先、五月三十一日付配布されていた文書中百二十八枚についてその一部(被配布者氏名欄)を切り取つたうえ返上した。

(ロ)、右六月八日付文書には、使用者の従業員に対する指揮命令の中断は争議行為中のみであること、したがつて従業員が就業中に労働組合の鉢巻、腕章、リボン、ワツペン等を着用して勤務している場合、その行為が会社業務遂行に支障を来たすと会社が判断したとき、会社は、着用を撤去するよう命令し、違反者に対し就業規則により措置する、旨の記載があつた。(五月三十一日付文書は、春斗諸要求に対する被申請人の基本的立場を訴えたものであつた。)

(14)  (イ)、西沢は、六月八日午後三時三十分頃、関係者以外立入りが禁止せられていることを知りながら、第八スタジオ副調整室内に入つた。

(二)  無許可集会等

(1)  一月二十五日午後六時から約二時間、本社正面玄関において、西沢を含む約百名の組合員が集会を行つた。

(2)  三月二十五日午後五時四十五分から約二十分間、同じ場所で組合員約二百名が集会を行つた。

(3)  三月三十日午前十時から約一時間二十分、本社二階出演者控室(ロビー)で、立松外数名が集会を行つた。

(4)  同日夕、四月十五日、二十日、五月十日にそれぞれ十五分から一時間余り右(1)の場所で組合員二百名が集会を行つた。

(5)  四月六日、五月二十日、六月三十日、それぞれ一〇分ないし四十分同じ場所で西沢を含む組合員約二百名が集会を行つた。

(6)  右(1)、(2)、(4)ないし(5)の集会においては放歌、高唱の事実があつた。

(7)  右一月二十五日、五月二十日、六月三十日の集会には被申請人従業員以外の社外の者数十人、時には数百人が参加した。

(8)  右十回にわたる集会(但し(3)を除く)がくり返されていた期間である五月中旬頃、横浜、箱根から来社した竹中工務店の関係者、五月頃来社した日本陶器相談役佐伯卯四郎、および、五月二十日頃来社した名古屋商工会議所の亀田企画室長等、被申請人にとつて重要な来客が、組合員等が玄関口車寄せ附近で集会していたため、社屋に入らず帰つた。そのため、後日、被申請人安藤常務取締役等が関係者に謝罪に赴いた。

(9)  被申請人と組合との間に労働協約が存在した昭和三十九年三月三十一日までは、右協定にもとづく手続により、許可を得て組合はその活動のため会社施設を使用できることとされていた。昭和三十九年四月一日から同年六月二十二日までは、これに関する特段の規定は存在せず、就業規則第五条第十四号ないし第十五号に一般的な許可使用を定めた規定が存在しただけであつた。被申請人は、この間組合の定期大会以外は会社施設を組合活動に使用させない取扱いをしていた。昭和三十九年六月二十三日から昭和四十年六月二十二日までの期間については、施設協定が施行されていた。右協定には、被申請人は、会社施設に使用予定がない場合、組合の申し入れに応じ、組合活動のため施設を使用することを許可し、組合所属の組合員にこれを使用させることを、施設利用使用の根本原則とするが、組合が争議行為に入つた場合は、被申請人は、組合が会社の施設を使用することを認めない(もつとも、本社六階第三集会室、屋上の一部指定部分、社屋内の一部の指定通路、社屋外の一部については、争議中でも、被申請人の許可によつて使用が認められる)と規定されている。

昭和四十年六月二十三日以降右施設協定は、失効し、前記就業規則の規定のみが存在した。

(10)  前記(1)ないし(5)の集会等は、いずれも、被申請人の許可をえないで行われた。

(11)  前記(1)の集会は、同月二十一日組合書記次長立松に手渡された管理部長広崎貞雄からの使用不許可の警告文を無視して行われた。また、被申請人は、(3)の集会については前日、五月二十日の集会については開会約二時間前、六月三十日の集会については、開会四十五分前に、その他の(2)、(4)、(5)の集会は開始直後、それぞれ文書または口頭で組合役員に対し警告を発したが、これを無視してされたものである。

(三)  会社施設の無許可使用

(1)  (イ)、四月一日午前十時三十分頃、本社六階エレベーター前廊下を、西沢を含む多数の組合員が無許可で使用した。

(ロ)、これは、六階第三集会室で集会していた組合員が、これを終つて出て来た際のものである。六階便所前から、エレベーター前廊下になだれ出た組合員は、施設協定に違反する所定場所以外への立入りを防ぐため、警告を発し、制止しようとした総務部長武藤俊三、管理部長広崎貞雄等に対し、「ストは終つたから通せ」、「終つたのだからどけどけ」、「バカヤロー」、等大声で叫び、西沢はその際「解除したのだから通せ」といつて、階段際に立つていた武藤俊三を数段下の階段へ突き飛ばした。

(2)  (イ)、加藤は、四月一日午後一時頃、本社六階食堂に立入り食事をした。

(ロ)、同所に居合せた常務取締役安藤が、食事中の加藤に対し、争議中(同人は指名スト中であつた)だから直ちに退去するよう繰り返し注意警告を与えたが、加藤は、「組合の指令である」といつて、そのまま食事を続けた。

(3)  (イ)、四月三日午後一時三十分頃右(2)の場所に加藤、遠藤重夫が立入り食事をした。

(ロ)、その際、人事部勤労課長田沼良一が、これを発見し、「スト中の者(当時両名は指名スト中であつた)が、ここに立入ることは施設協定違反である。即刻退出するように」との注意を与えたところ、右両名と居合わせた西沢はこもごも「斗争指令によるものである、会社は、協定を拡張解釈している」等抗弁した。その後、遠藤重夫は、食事をとりながら、「反動がウヨウヨしていてメシがまずくなる」等といつた。

(4)  (イ)、五月十一日午後一時二十五分頃、本社五階事務室内に、組合員伊藤が立入りビラを配布した。

(ロ)、同人は、五階事務室内企画局、経理部、総務局の各周辺を巡回し執務中の組合員に、赤紙に印刷された「斗争指令」を配布していた。同人は、これより先き同日午後一時十五分に指名ストを解除されていた(このことは、右時刻に、勤労課長田沼良一が組合から電話連絡を受けていた。)が、右就業時間中のビラ配りについて、上司から注意を受けるや、午後一時三十分が指名スト解除時刻である旨抗弁した。次いで、午後二時三十五分頃、立松が、人事部を訪れ、一時十五分の解除通告を一時三十分に訂正する旨述べたので、被申請人はこれに同意した。したがつて、同人の行為は、結果的に、スト中における禁止場所への無断立入を構成することとなつた。

(5)  (イ)、五月二十日午後五時二十分頃、第八スタジオ副調整室に、組合員伊藤および立松が立入つた。

(ロ)、右行為は、公開番組「うたまね読本」のリハーサル終了後、担当職員に、組合が指名ストライキを指令した後行われた。伊藤、立松が副調整室に入室したのは本番放送開始の打ち合わせ調整が行われており、入室厳禁の時であつた。そのため、テレビ局制作本部技術部長小野昭が業務に支障があるので退出するよう注意したところ、伊藤は(当時指名スト中であつた)、「組合の斗争指令だから」等の理由で、立松は、「施設協定なんて今はない」と押し問答をし、そのため本番放送の開始が十分間遅延した。

(6)  (イ)、五月二十日午後四時三十分頃、第八スタジオに、組合員古賀喬が入り、スポンサー、代理店、出演者等にビラを配布した。

(ロ)、古賀の配布したビラには、「今日、この番組に、CBC管弦楽団を出演させないのは、先日のストライキに対する会社側の報復であり、不当である。」等の趣旨が記載してあつた。

(四)  誹謗、虚構宣伝等

(1)  (イ)、組合は、二月二十三日、三月三日、五日、十二日、十九日、二十五日、四月二十二日、五月十一日付のビラ―それには被申請人のいわゆるラジオラインネツトワークを批判し「スタジオに閑古鳥が鳴く」「CBCには、三、四年先きを見透して、ラジオのあり方を考える智恵者すらいない」、「CBCは点と線になる」、「労働者の悲しみ乗せて呼ぶ電波J・R・N・(ジヤパンラジオネツトワーク)」等とかいてある―をくばつて情報宣伝活動をした。

(2)  (イ)、組合は、三月十七日頃、四月二十六日頃、五月十二日、十三日、組合員多数を動員して、市内の名古屋駅、栄町等数か所の街頭で、公衆に、「テレビ、ラジオ番組がなつていないといわれている」、「私達に首切り配転の嵐がおそつてくる」、「良い番組がなくても会社は平気である」等の趣旨を記載したビラを配布した。

(ロ)、右各ビラの内容を総合すると、組合は、ラジオラインネツトワークが、放送の中央集権化、地方局の地位の低下、番組内容の低下、これに伴う不利益を組合員に波及させるとして情宣活動をしていたことがうかがわれる。右各ビラ等のうちには、前記(イ)の外、「もうけ一本やりの民放経営者」「ラインネツトは贋金づくり?」「日を追つて益々くだらなくなる放送の現実は、どこの、だれによつて作られた」等の表題を付したものもあつた。

しかし、右ビラの内容については若干事実と相違する点がないではなかつた。

(五)  施設内における政治活動等

(イ)、組合は、二月一日から六月七日までの間組合ニユース等を組合員である従業員に配布する方法によつて、情報宣伝活動をした。その回数は、約十六回であつた。配布されたビラには、「原子力潜水艦阻止緊急動員」、「危機に立つ平和憲法―日韓―戦争への道」「沖縄県人の生活は、軍政の下でひどい圧迫を受けている。」、「沖縄行進に参加しよう。」「ベトナム戦争反対」、「三矢作戦大講演会参加要請」、「安保反対県民集会へ参加要請」等の見出しで、これに関連する記事が掲載されていた。

(ロ)、その外、配布ビラの中には、「沖縄を返せ」、「政府権力の露骨なマスコミ利用………」等の標題を付したものもあつた。

四、組合活動の企画、実行の指導について

疎甲第四ないし二十五号証、六十、六十一号証と申請人西沢本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実が疎明される。

(1)、以上二、三記載の組合の活動は、平時には、委員長西沢を含む執行委員会が企画し、実行を指導したものであり、スト権確立後は十五名以上の斗争委員(実際上は、本部執行委員十三名にあと二名を加えた十五名で構成されていた。)で構成される斗争委員会が、交渉権、指名権、妥結権の移譲を受けて、企画し、実行を指導したものである。もつとも組合規約上、正式に認められたものではないが、スト権確立後は、代議員が職場斗争委員となり、これらの者が、職斗会議を構成し、斗争委員会に対し、具体的な争議戦術の討議、提案をするという運用が行われていた。

(2)、西沢は、斗争委員会の委員長であつたが、斗争委員会の決議においては、他の斗争委員と平等の表決権を有するにすぎなかつた。昭和三十八年以降斗争委員会で行われた各種の決定は、全員一致でなされていたが、西沢は組合の執行委員長という最高指導者の地位にあり、組合活動全般にわたつて指導力を有し、斗争委員会での各種決定や、具体的な争議手段の企画、実行の指導に重要な役割りを演じていた。

(3)、前記組合の諸活動は、右組合機関の正式な決定を経たうえ、これに基づく包括的ないし個別的な指示命令に従つて行われた。もつとも、四月一日、六階エレベーター前での組合員の言辞および西沢の行為、四月三日六階食堂での遠藤の田沼に対する言辞、四月二十四日手島、伊藤の岡田に対する言辞、六月九日加藤の「不当労働行為罪状証明書」の作成は組合活動に関連し行われているが、これらは斗争委員会において企画し、実行の指導をしたものではない。

五、被申請人会社の特殊性について

疎乙第四十五、四十六、四十九号証、五十五号証の一、二、七十四、七十七号証と証人高橋一夫、同伊藤幸三の各証言によると次の事実が疎明される。

(1)、被申請人は、放送関係法規の規制を受ける民間放送会社であるため、政治的中立性の保持、その他公正な報道機関として事業活動を行う責任を負つている。したがつて、被申請人は、従業員の服務規律についても、いやしくも事業の公共的性格を没却することのないよう求めている。

(2)、被申請人は、広告媒体である放送電波を商品として販売し、これを唯一の収入源としているため、広告代理店、スポンサー等の取り扱いについては、事業経営上、格段の配慮をなさざるを得ないものである。そのため、とくに、直接これらの関係者と日常接触し、営業活動を行う従業員は、これらの者に対する折衝、接遇について遺漏のあることは許されず、この面における従業員の服務規律は、厳正に保持すべきものとされていた。

(3)、被申請人の行う放送は、近代技術の粋を集めた機材を用い、職員相互の密接な連絡の下に行われる。

その具体的な企画から放送終了までの全作業は、多数の従業員の組織的な関与の下に、一連の統一過程として行われ、僅少な一部の欠落支障も、全作業の適正な遂行に影響を与えることになる。

六、前記三、の各行為の正当性について

以上の二ないし五記載の各事実に基き、前記三の各行為の正当性について以下順次検討する。

(一)  業務命令違反等

(1)、四月二十四日の岡田明子に対する手島、伊藤両名の行為は、相手が女性であること、その時期が録音開始直前であること、そのため約二十分間にわたつて開始時間を遅延させたとはいえ具体的に録音開始時刻が遅延したことによる損害や、信用毀損の結果が生じていたわけではないのであつて、「デイレクターに、にらまれては、仕事に影響するかも知れない」との言は、穏当を欠くけれども、全体として、スト代行要員に対する説得行為として正当である。

(2)、いわゆる事後措置拒否とは、ストライキが行われた場合、当該ストライキ中に処理される予定であつた業務の全部又は一部を、ストライキ解除後就業時間中に、処理することを拒否するというものであるが、それは本来のストライキと、事後の拒否行為が結合したところの全体として一個のストライキとも見られうる。

そして、前認定のように、前提たるストライキ対象者と事後措置業務拒否者とは、必ずしも一致するとは限らず、それがなされる時間についても、事前に明確である場合と、そうでなく事後措置業務に関する業務命令が発せられた後、明らかになる場合とがある。すなわち、いわゆる事後措置拒否行為は、ストライキではあるが、右のように、抜打ちストライキたる性格と、部分ストライキたる性格の両者を持つ。その二つの側面からその相当性ないし適法性を検討する。被申請人と組合との間では、右各事後措置業務拒否行為の当時、労働協約が失効していたため、これにもとづくストライキの事前通告制度は存在しなかつたが、ストライキ突入の通告は、実際上行われていた。この点でストライキ対象業務、人員の特定について、通常のストライキが組合員の氏名および時間をもつてするのに対し、いわゆる事後措置拒否は直前のストライキ中にされるはずであつた業務ないしその関連業務の遂行が命じられたとき、その命じられた者が拒否するという形で行われるため、ややもすると使用者にとつては、抜打ストライキとなるおそれがあつた。

部分ストライキたる面についてみれば、右各業務拒否行為は、いずれもこれに先行する部分ストライキ終了直後ないし三日間位の期間を置いて行われているが、対象業務ないし、対象者の範囲が先行ストライキよりさらに局限された形態で行われた。しかし組合は、いずれの場合にも、斗争指令や被申請人に対する先行ストライキの通告の中で、統制事項等の形で関連業務について事後措置拒否行為のあり得ることを明らかにしていたし、そうした部分ストのために被申請人の業務の重要あるいは主要部分が広範囲にわたつて停止されるものでもなかつたのであつて、これによつて被申請人と組合のこうむる損害の均衡が著しく破られる結果とはなつていない。したがつて、組合の行つた事後措置拒否という争議は、その目的において、先行ストライキの実効を確保するためのものであり、その手段態様において、極端な抜打ちないし部分ストライキを構成していないので、他に、被申請人の業務に対する不相当な加害目的があり、又、加害結果が生じたとの事実が疎明されない以上、一応適法なものと認められる。

(3)、組合員のスタジオ副調整室への立入り行為は、その時期についてみれば、リハーサル終了後、本番録画のための打合わせ調整作業中など、関係者が緊張し静粛を要求される場合であつたこと、その場所についてみれば、放送作業の中枢ないし重要部分を行うところであつたこと、現場責任者の制作業務中であるからとの退出要求を無視していたこと等の点で、必ずしも適切な行動とはいえない。しかし、それは、組合のワツペン着用指令の実行を点検する活動等の一部として行われたもので、ことさら現場での作業を妨害するためとは認められないから、これがため、現場において、責任者との間に意見のくい違いから若干のトラブル、抗争が起り、短時間、業務の進行を遅延させた事実があつても、組合活動として、直ちに違法とはいえない。

(4)、鉢巻等の着用行為は、本件においては、いわゆる争議行為として行われたものではなく、組合の団結を誇示し、あるいは組合の被申請人に対する抗議の意思表明として行われた。この組合の活動は、そのこと自体によつて、職場秩序を乱したものではないし、又就労そのものの拒否を伴うものではないので、就業時間中に就労と両立しない組合活動を禁止する意味での就業時間内における組合活動禁止の原則にも触れない。もつとも、加藤がこれらを着用したまま挨拶まわりや、社外営業活動を行つたため、代理店や顧客から非常識であるとの批難を受けたり、これを理由として取引停止をほのめかす顧客があつたりして、被申請人としては、ある程度営業活動上の支障が生じたであろうとはいえる(とくに株式会社電通名古屋支社に、これについて被申請人副社長が直接陳謝に赴いてもいる)。しかし、右加藤の行為に対する外部の者の批判ないし苦情は、行われた時期、場所、態様から見ると、組合と被申請人との間の対立、抗争の実態や、両当事者の態度の適否について、必ずしも十分な検討を尽さないまま、単に、それが異様、不体裁、不愉快であることを理由とする感情的反撥に由来すると思われるものも存する。組合が、職場での支持が薄いこと等を理由に、一旦はその継続の可否を検討したものの、結局長期にわたつて、鉢巻等を着用させたことの適否はその対外折衝に機微なもののある対外営業活動の特殊性を考えると、(とくに加藤は営業関係のセールス業務を担当するものであつて、現実に外部でトラブルを起している)、それが積極的サボタージユに該当しないとしても、その相当性については、十分批判検討の余地の存するところである。しかし組合がその機関の討議を経たうえ採用した右のような手段の適否は、それが違法なものでないかぎり、組合の自ら決定すべきことで、これに対し、被申請人が、(元来、一定の制服その他の服装が要求されているとか、極端に非常識な服装をとめるとかいつた場合は別として)いわゆる職務命令をもつて、これをとるよう命じうる事項には属しない。したがつて、組合活動に対し、使用者がこれを批判することは、格別、告示通達等の命令をもつてこれを制限する措置は適法な職務命令とはいいがたいので、これに対する組合の返上行動や、抗議意思の表明を以て不当なものとはなしがたい。しかも、加藤等は、来客を応接するとき等には、場合に応じ、事前に着用の理由を述べるなどしていたずらに刺激にわたらないよう相応の配慮をしたこと前認定のとおりである。もつとも、加藤は、六月九日高橋について、いわゆる「不当労働行為罪状証明」と題する文書を作成し、これを公然第三者に示した。これは、高橋が、職務命令をもつて赤鉢巻をとるよう命じたことに対する抗議行為としてなされたものでその目的においては正当であるが、右文書の表題として使用された語句や内容字句はいかにも穏当でなく、高橋の名誉を傷つけるに足るものといえる。

しかし鉢巻等の着用が、組合活動として違法なものとはいいがたく、従つて、これをはずさせる業務命令は適法とはいい難いこと前述のとおりである以上、加藤の右行為を誘発した責任の一半は、従来から執拗にこれをはずさせようと種々試みてきた高橋自身にあるといえる。

(二)  無許可集会

(1)、正面玄関附近で行われた各集会は、被申請人と組合間の三十九年六月二十三日付施設協定第二条の「会社施設」を使用した場合に該当するから、同協定の存続期間である四十年六月二十二日までの間に行われたものは、右施設協定の規律に服するものである。組合は、右期間内の各集会について、被申請人の許可を受けなかつたばかりか、事前あるいは開始直後の警告を無視し集会を強行したものであるから、企業内組合であること、他に特段の集会施設を持たないこと、その他一時間未満の集会にとどまつた場合があつたこと等を考慮しても、組合の行為は右施設協定に違反するものである。これを実質的にみても、前認定のように被申請人の重要な来客が、これにより、社屋への立入りが出来ず引返した事実もあるのであつて、被申請人業務が妨げられている。

(2)、ロビーでの集会も、前記同様警告を無視し、協定に違反し行われたもので協定に反する。

(三)  施設の無断使用等

(1)、四月一日の六階における施設の使用とは、集会を終え、第三集会室から退出してきた組合員が、ストライキ解除通告の内部連絡が不十分なため、被申請人幹部職員に通行をはばまれ、押し問答の間、エレベーターや階段附近に滞留する結果になつたものであり、違法な施設利用とはいえない。その際、西沢が、武藤総務部長を突きとばしたのは、被申請人側の応待に落度があつたとはいえ、違法な行為というほかない。

(2)、加藤等の食堂利用行為は、施設協定にいう、組合活動のための会社施設の利用ではない。したがつて、施設協定の適用の埓外の行為である。同人等が食堂で食事をするのは、就業規則にいわゆる会社の設備の使用に該当するが、それは、組合活動とは関係のないものであり、従業員の日常の利用行為として許容されたものを逸脱したものではないというべきであるから、これをもつて施設の無許可使用に該当する行為とすることはできない。

(3)、指名ストライキ中の組合員が、組合の斗争指令文書ないし情宣活動のビラを配布した行為は、これによつて他の者の業務を妨げるおそれがなく、そうした結果が生じない以上、正当な組合活動である。これが被申請人の施設管理権を侵し、あるいは侵すおそれがあつたとの事実については疎明がない。

(四)  虚構宣伝

組合が、直接あるいは間接に組合員の経済的地位、ないし労働者としての利害に関係ある問題を取りあげる立場から、被申請人の一般的経営方針や、その一であるラインネツトワーク問題について、評価、批判することは、労働組合の正当な宣伝活動に属する。配布されたビラの内容には、若干事実と相違する表現を用いたりして、必ずしも客観的真実を伝えていないものもあるが、全体としてみれば、放送の中央集権化、地方局の地位低下、およびこれに伴う不利益が組合員に及ぶこと、を訴えたものである。それらビラを作成した組合およびその上部団体は、利害対立する被申請人の経営活動を批判するにつき、その主張立場を強調するあまり、表現の一部に過激、不穏当なものが用いられたものとみられるが、そのことをもつてビラ全部を違法とすることはできない。

労働組合が、その活動に際し、外部の一般市民と共に、その協力理解を求めることは、もとより正当な行為として許容されているところであるから、これらのビラを、市内街頭で配布したことも違法ではない。その他、これらビラの作成、配布についてことさらに被申請人の営業ないし企業のイメージを中傷し損う意図を有したとの事実の疎明はないので、前記ビラの作成、配布は、組合活動として許される範囲を逸脱したものとはいえないわけである。

(五)  政治活動

さきに、施設内の政治活動として認定したところは、組合として政府の政策ないし、内外の政情についての意見態度を表明したものと見られるのであつて、組合本来の活動を離れて、専ら政治活動をしたものとはなしがたい。労働組合であつても、時に政治上の問題について一定の立場をとることもありうる労働者の集団である以上、これに関する意思表示、態度表明をしたことを捉え、その許されない政治活動とすることはできない。しかも、それらは、単に、右の意味での組合の主張、立場を、組合のビラに掲載し配布したにとどまるものであり、特定の政党の機関紙や、宣伝文書を配布したものではない。もとより、被申請人の放送、その取材その他に右のような組合主張を織りこむなど、被申請人の政治的中立性をおかし、公正な報道活動に対する信頼をくつがえしたものでもない(そうした事跡があつたことの疎明はない)。

(六)  以上、総合すると、組合員が、組合活動ないしこれに関連して行つた行為のうちには、岡田明子に対する発言など、措辞穏当を欠くもの、組合活動のためとはいえ、その時期、場所の判断を誤り、放送直前の施設に立入る等放送会社従業員の行為として良識を欠くもの、重鉢巻斗争にみられる如く、勤務の特殊性を考慮するについてやや慎重さが欠け組合活動に理解が十分でない第三者との間に無用の摩擦を生んだもの、他人の名誉を害することになるもの、玄関前またはロビーでの集会の如く、施設協定に違反しかつ事前の警告を無視して行われたもの、四月一日の六階階段わきのトラブルにみられる如く勢いのおもむくまま暴行に及んだものもある。四十年四月中旬頃までの被申請人側の団交態度には若干団交ルールの確立ということにこだわりすぎたきらいがあり、それが一因ともなつたにせよ、組合は、その後の時期も含め、七十波に及ぶ波状的なストライキを敢行するなど全体として、労働常識にてらし、争議権濫用の疑をいだかせるところがないとはいえない。すなわち、組合の前記ストライキ等の活動には、非難さるべき点が全くないものとはいえず、その企画者、指導者、実行者の責任は、必ずしも軽いとはいえない。しかし前判示の一連の経過にてらせば、被申請人の業務の特殊性を考慮しても、前記二月以降七月六日までの間の組合活動は主として争議行為の一環としてされたものであり、全体としていまだ被申請人の職場秩序を著しく乱すものとして、就業規則の懲戒解雇規定が直ちに適用されるに価する程度に達しているものではないと解すべきである。

七、不当労働行為について

してみれば、被申請人が、これら正当な組合活動を含む行為全体を理由として申請人両名に対する処分としてなした懲戒解雇の意思表示は、正当な組合活動による不利益取り扱いとして、労働組合法第七条第一号前段の不当労働行為を構成し無効といわざるを得ない。

それ故、申請人両名は、なお被申請人の従業員たる地位を有するところ、解雇当時西沢は月額平均六〇、六一一円、加藤は同じく五〇、八九三円の賃金の支給を受けていたことは当事者間に争いがなく、右支給日が毎月二十三日であることは被申請人において明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべきである。

八、仮処分の必要性について

申請人両名の各本人尋問の結果、および弁論の全趣旨によれば申請人両名は、解雇以後、被申請人の従業員として扱われず、就労を拒絶されていること、右両名は、別段の資産を有しない賃金労働者であることが疎明され、被申請人が解雇後西沢に対し職員寮の明渡しを要求していること、申請人両名に対し被申請人従業員ではないとして、組合事務所およびそれに至る最短距離を除く被申請人社屋への立入りを禁止していることは当事者間に争いがない。そうだとすると、このまま本案判決の確定にいたるまで右状況を続けるときは被申請人両名は回復し難い損害を蒙むるおそれがある。

なお、申請人西沢の本人尋問の結果によると、申請人両名は解雇後組合から生活援助資金として従来どおりの給与相当額の金員の支払を受け、これによりその生活を維持していることが疎明されるけれども、これは申請人両名の生活の困窮を救うための臨時的応急的措置にすぎないから、本件仮処分の必要性を阻却する事由とはとうていなし難い。

九、以上の理由により、申請人両名の本件申請は理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 西川正世 片山欽司 鬼頭史郎)

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